荻窪でお寺ヨガをしているJunkoです。
突然ですが、
みなさんはどんな顔をお持ちですか?
誰かと会う時いろんな肩書きがついてきますね。
私であれば、
ヨガのインストラクターであり、
子を持つ母であり、
妻であり、
〇〇君のお母さん、
ダンスをしていたJunkoなど、
色々な顔があります。
多趣味で社交的な方は、
もっともっと色々な顔をお持ちかもしれません。
初めてお会いするとき、
どの肩書きで会うかによって、
使う言葉や表現・その後の付き合い方も変わってきます。
この肩書きは便利なようで、
時には大切なことを隠すこともできるもの。
お世話になっているお寺のおくりさんが、
クラスによく参加くださいます。
人生の大先輩であり、
沢山の人を見てこられたであろう経験もあって、
私は自分の未熟なところを見透かされそうで、
最初はお話しするのにとても緊張しました。
(失礼なことをしたらヨガをできなくなるかも、、、なんて内心ビクビクしてました汗)
ある日、クラスの前後の時間に
ご出身や結婚までの経緯など伺ったことがありました。
今のおくりさんしか知らない私にとっては、
「おくりさん」という顔しか見えていなかった。
でも、生い立ちや馴れ初め・ご結婚されてからの話を伺うと、
「おくりさん」以外の一個人としての顔が見え
とても親近感を持つようになりました。
自分も色々な経験を積み重ね、
複数の顔があるように、
他の方も色々な経験があって、
今見せてくださるのと別の顔もある。
〇〇だからと一括りに出来ない、人の多様性。
人種や性別や性的嗜好だけじゃなく、
その人の生い立ち〜今までの経験をトータルで見ると
みんな違うのは当然で、違っていいね。
以前ヨガの先生が言っていて、どうしても腑に落ちなかった言葉。
「あなたはすでに完璧です。足りないものはないよ。」
当時の私には、そうとしか思えなかった。
(8年前とか?若かったからね、、、)
人間性とか、スキルとかしか見えてなかった。
他者と比較する時は、どうしても足りないところに目が向く。
でもこの世に生まれ(この時点で奇跡ですね)、
誰一人同じ経験をした人はいない
そう思うと、先生の言っていたことが少し近くに感じられました。
目の前の人と対話すると、
いろんな顔が見えてきて面白い。
そんな出来事でした。
いやいや、足りないところしか見当たりませんが、、、